永遠の当たり前

山田哲子

私は、幼い頃から周りでバッタバタと人が死に、葬式に参加することが多い方でした。
結婚式よりも、葬式の作法の方が詳しいし、今、周りに生きている親族は両親くらいで、
その親も、めちゃくちゃ若いくせに、健康かと言われるとなんとも言えないですし、私自身も元気だけれど、どちらかというと虚弱体質で、妹はもっと虚弱体質で、というような家族編成です。

こんな前置きをしていると
私、可哀想。。。という話か??鬱陶しいな。と思われてしまうかもしれませんが、
そういうPRをしたいわけではなく、今日は「自分が生きていく上で大切にしていること」を書き綴っていこうと思います。

私は上記の通り、年齢のわりには多めの人の生死に触れてきました。
そのせいか、どこか冷めた人間で、若い頃は特に「人はどうせ、いつか死ぬのだから」と思って生きていました。自分もいつ死んでもいいなと思っていました。

でも年を重ねて、いろんな経験をして、色んな人に会って。
自分で思っているより、大切な人や物事がどんどん増えていきました。

そしていつしか、
「人はいつか死ぬ、物事もいつか消え去る。それは明日かもしれない、だから今を大切にしよう」
と思えるようになりました。

そしてそれはいつしか、自分の人生を進めるうえでの大きな指針になりました。

私は思い立ったり、やろう!と思ったらできるだけスグ行動することにしています。
それは「明日死ぬかもしれない、だから今やろう」
と思うようにしているからです。

忙しいとつい、蔑ろにしてしまいがちな、
家族との会話や触れ合いをできるだけするようにしています。
それは「明日いなくなってしまうかもしれない、だから今を大切にしよう」
と思うようにしているからです。

人や自分だけではなく、今当たり前にあるものや事象、すべてにおいて、
それが当たり前でなくなるかもしれない、だから大切に、いつも感謝を忘れないように気をつけよう。
と思い返すように注意しています。

特に今回のコロナなんかいい例ですよね。
今まで当たり前に遊んで、当たり前にマスクなしで楽しく人と会話できて。
それが一瞬にして消し飛んだわけです。

もっと飲み会行けばよかった。
〇〇さんに会っておけばよかった。

今更思っても遅いわけです。
それがコロナ渦が落ち着いたら、元に戻るものならいいですが、
例えば会いたかった人にこの間に永遠に会えなくなるとか、
行きたかった飲食店が無くなってしまったとか、取り返しのつかないこともあるのです。

できるだけ、そういう後悔を減らす為に、少しだけ頑張って、少しだけ頭を切り替えて
「今」を大切にするように心がけています。

もちろんすごく疲れてたり、気分が上がらなかったりで全てが全て、
大切にできているわけではないのですが、生きている限りはできるだけ、無理のない範囲でそういう風に生きていきたいな、と思っています。

ゲームに関しても、今遊んでるゲームはたくさんの人が携わってリリースされ、
たくさんの人が遊んで、そして今もプレイされていると思うと、それは当たり前ではないのです。

そのゲームでイベントをしてくれる人、プレイしてくれる人、色んな人が支えてくださって、今があるわけです。

そういう人が一斉に全てをやめてしまったら、今当たり前にある環境というのは、一瞬にして、崩れて去っていくわけです。

そんな風に考えてみると、捨てゲーなんてできるはずもないのです。
その1回が最後のプレイになるかもしれません。あなたはそれでいいのですか?と。
格ゲーしてるとイライラしたり、捨てゲーしたくなったり、煽ったりしたくなったりすることもあると思いますが、あと数える程しかプレイできないとしたら、自分は本当にそれでいいのかと、思い直してみてください。

SNSや配信で一生懸命活動したりしている方に、あーだこーだいうのは簡単ですが、
「あーもうやだな、やめよ」とその方が思ってしまったら、もう終わってしまうわけです。
本当にそれでいいんでしょうか?

つい熱くなって、瞬間的に「死ね!!」とか「くそが!」とか思ったり言ってしまう気持ちはわかりますし、哲子もしょっちゅうですが、落ち着いてる時間に、ちょっと思い返していただければなと思います。

それでもやっぱりムカつくときはムカつきますけどねっ!


今あるものを当たり前だと思わずに大切に扱う。
明日が当たり前に来るものではないということを念頭に置く。

人は慣れてしまうものなので、難しいですが、
私はこれからもできるだけ実践して、毎日を過ごしていければなと思います。

そして、皆さんの毎日も素晴らしいものになりますように。

永遠の当たり前なんて、存在しないんですから。




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